2015年05月02日

日本は「虐殺器官」が起動した社会実験の中なんじゃないか


「虐殺器官」伊藤計劃


評判も知らず、偶然手にして読みました。

9.11以降の世界をテーマにしており
新自由主義、グローバリズム、テロリズムといった
気になるキーワードが散りばめられた世界観と
残酷で無慈悲な世界を描出しながらも繊細な文体は
かなりツボでした。

ここからは作者が2009年に早逝しているので
言いがかりに近い意見なのは重々承知です。

3.11以降の世界を経験した今、
これをアメリカ兵を主人公でやる意味はないと
思います。恐ろしいほどに現実の方が進行している
からです。
(今、公開中の「パトレイバー 首都決戦」が
「劇パト2」の実写版セルフリメイクのような
仕上がりなので、こちらにも現実の方が進行して
いるということが言えそうです。)

既に日本では政治の中枢で無意識のクーデターが進行中です。
このことを考え合わせると、悪の枢軸としての日米同盟に
焦点をあて、「他者としての個人」を無意識に圧殺する
日本人の内的な装置に目をむけるところまでいかないと
問題意識として不十分な気がしたのです。

この小説を読んでて思いついた観点です。

・福島原発の処理しきれずにたまり続ける汚染水は太平洋湾岸の人間を
 全て人質にする恫喝のための武器になるのではないか?
 本来、世界を破滅する意思決定はあえてしないだろう、
 あるいはそのような意思決定はしないというポーズくらいとる
 と思います。しかし、現在の自民党政権の動きを見ていると
 「建前もなにもかなぐり捨てて大丈夫」と判断していると思います。
 ということは、核兵器の所有のハードルが高ければ「福島の汚染水」の
 軍事利用を、世界に対する恫喝のための現実的なオプションとして
 考えていたとしても不思議ではありません。

・日本の自衛隊が第三次世界大戦の引鉄となるのではないか?
 現在、明らかになっている「集団的自衛権の行使」のための法整備には
 いつでもどこでも米国の戦争に参加するという法的な意味しかありません。
 自国の兵士を戦場から引揚げる米国の方針を考え合わせると
 自衛隊が世界に野放しにされるということです。
 つまり「外交的なプロセスや現実的な武力行使のプロセスを理解していない
 ど素人集団の日本政府と自衛隊」によって最悪の大戦が引き起こされる
 危険性は十分あるということです。

・世界は既に米国を排除の対象として戦略を既に検討しているのではないか?
 「テロ」を十羽一絡げにまるめてますが、その本質は「富者と貧者の戦い」
 です。結局のところ武器商人である米国とイスラエル(あ、今度は日本も
 その一つとなりますね)が中東を混沌とさせているために、国際社会にテロの
 危険性を招いているようにしか見えません。であれば、出口戦略として
 世界の中から米国を排除することは現実的なオプションです。
 あ・・・、米国は強大だからそんなことは無理でしょうなんて言う人もいる
 と思います。でも物理的に叩きのめすことはできなくても、州間を分断する
 ような社会的な装置、手段があれば、大国ではなく州という国家の集まりに
 すんなり移行できちゃうんじゃないでしょうか?
 なんか、そんな社会心理操作術みたいな研究がされていてもおかしくありません。
 んでもって、日本はあまりに無能な国なので、そんな計画の蚊帳の外に
 置かないと危険だと思われているんじゃないでしょうか?

・「他者としての個人」を無意識に圧殺する日本人の内的な装置は
 どのように発生しているのか?
 なぜ、これほどまでに民主主義や基本的人権が根付かないのか?
 これが戦後制度の不備によるものなのか、
 誰かが民主主義や基本的人権を忌避する装置をしかけているのか?
 そもそも、日本人は民主主義を憎悪しているのではないか?

で、そんなことを考えていたら、
第二次安倍政権下で転がり落ちている
日本の状況は「虐殺器官」が起動した
壮大な社会実験の中にあるんじゃないかとも思えたのです。

posted by amleth machina at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 意見には個人差があります・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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